ツールドおきなわ 2006

昨年は内容を交通手段、補給、レース展開に分類して記述しましたが、今 年はそおゆう還元論的手法はやめて、覚えていることすべてを時間軸に沿って 記述してみよおと思いました。なぜなら当日までの練習、体調管理、交通、宿 泊、補給、機材、天候、レース展開等々すべてが複雑に絡み合ったノンリニヤー システムがおきなわというイベントであり、113 位 (参加者 約 320 人、完走 122 人) というきわどい結果だからです。そして周りが 見えていないというわしの最大の欠点を矯正するためには、このような手法に よる記憶の再構築が有効かも知れないからです。そう、このレポート作成は、 一種のトレーニングなのです。

出発前日まで

体調はサイコーではないが最悪の時期は脱した。今シーズン春先くらいのじつ りきには戻せた気がする。体重は許容範囲 (53.2〜53.6kg) に戻ったが、心泊 は結局高い (45〜48bpm) ままだ。風邪をひいているときや飲んだくれた日の 翌朝なみだ。距離走ったあと、2回目の普久川ダムと源河の登りが心配だ。 ていうかむしろそこまで生き残れていたらラッキーか。

来年の 9〜11 月は睡眠時間と練習時間を死んでも死守しよう。 いいわけがましくてすまぬ。

2006/11/10 出発日

自転車じゃない仕事のうちやりがいを感じるほうを昼までで何とか終らせ、昼 からブレーキシューやスプロケットの付け換え。昼は玄米ご飯と納豆で適当に 済ます。荷作りし終えたら出発時間 (16:00) ギリギリだった。余裕が無いの は危険だ。ちょっとトラブルが起きたら 1 年間の努力がもずくの泡だ (← 若 干まちがっているが言いたいことはつたわる表現)。

羽田までの電車は空いてた。特に問題無し。

昨年まで JAL だったが、今年は ANA だった。こっちの出発ターミナルの方が 飯屋が充実している。自然食品ベースの飯屋に入ったら、ふつーに食える定食 が出てきた。素晴らしい。飛行機の出発が 10 分遅れるというのでゆっくり食 う。食い終ったら 40 分遅れになってた。実際には 1 時間遅れで出発した。

那覇に着いたら 23:20 分だった。モノレール終電は 23:30 だった。逃した。 空港から宿まで自走した。1km くらいしか無かった。一瞬で県庁前に着いた。 適当に走ったら最短ルートだったっぽい。昨年はモノレール沿いに走ったら結 構遠かった気がする。来年も最短ルートを走れるといいなぁ (運まかせ)。

県庁前に着いて安心したら迷った。が、ほどなく着いた。先着している 2 名 はとうに寝ているはずの時間 (0:50) なので、挨拶無しでさっさと就寝。

2006/11/11 本番前日

宿で 1000 円の朝飯。ご飯と納豆。コンビニエンスストアよりずっと良い。来 年もこれにしよう。二人がやたら元気だ。

朝食後、本日の最重要案件であるスネ毛処理を済ませる。来年は余裕をもって 自宅で剃りたいものだ。

運転手様にレンタカーで名護まで輸送してもらう。でかい車なので前輪すら外 す必要が無い。バスより断然楽でありすなわちありがとうございます。途中で 少し炭水化物を摂る。飲み水を切らさないことと、昨年までのようなバカ食い をしないことに留意する。

「昼飯定番の宮里そばで、来年はスパゲティを頼んでみよう」と昨年 誓ったとおり、ソーキそばとスパゲティを頼んだ。トーストも付いてきた。こ れで全メニューコンプリートした。スパゲティというやつは、初めて食べる料 理だった。小麦粉の練り物をやわらかく茹でてしばらく置き、マーガリンで和 えた料理だ。トーストにもマーガリンがたっぷり染み込んでた。どちらも 2 度と注文することはないと思う。オリーブ油使えとは言わないが、せめてコー ン油にしてくれ。近くの席で Vang の人たちが食ってた。彼らはぜいいんソー キそばだけだった。さすが。あの御方はここでも隣の席の子供にサインしてあ げてた。あいかわらずいい人だ。生まれてこのかた、真性のいい人ってのはこ の人しか見たことがない。表現を変えれば、いわゆる馬いやなんでもないです。

チップとゼッケンもらった。200kmの列に並んでるひとが皆つよそうに見える。 ほんとは半数以上が自分より遅いはずなのだが。国際会議にゆくと英語をペラ ペラ喋ってる西洋人が皆自分よりも賢こそうに見えるのと同じようなもんだろう。

ゼッケンをジャージに貼る前に紛失して、あせって探し回ったあげく、見つか らないので手書きのを再発行してもらった。ら、風に飛ばされないように自分 で足首に挟んでおいたオリジナルが発見された。まぁおちけつ、俺。

宿まで15分。国頭までの移動が無いのが昨年までよりも圧倒的に気楽だ。

着替えて本部半島をゆるゆると試走。めちゃくちゃ長いっすよ。これで全行程 の 1/4 ? まじすか? ぜったいしょんべんもたないな。

試走から宿への帰り道で迷う。迷っていたらうらわかき婦女子から晩ご飯のお 誘い電話が入る。そゆことはもっと早く言ってください。宿に飯たのんじゃっ たよ、ちぇっ。何とか宿にたどりついたときには、辺りはすでに暗くなってい た (17:45)。

今回はあかの他人と相部屋なのだが、晩飯の時間になってもチェックインして ないので、フロントに鍵を預けて一人で飯へゆく。食事はちいさなバイキング ビッケ方式だった。極力普通に摂る。ドカ食いしないよう気をつけた。これは 良かったと思う。

飯食ってたらどこかで見たことのあるような方が近寄ってきた。大切なお客様 だ。「よろしくお願いします」「こちらこそ頑張ります」という、周囲には どう考えても明日のレースの話にしかきこえない挨拶を交わす。

飯から戻るとフロントに鍵が無い。部屋に戻ってノックしても返事が無い。た だのしかばねのようだ。同室の相手が鍵持ったままどっかいきやがった。フロ ントに頼んでドアを開けてもらったが、鍵が無いと部屋の電気が使えない。い いよ、もう寝るよウワーン。

布団に入ったとたんに相手が帰ってきた。おっちゃんだった。娘がレースに出 るので付き添って来たという。けっして悪い人ではなかったが、大事なレース 前に無用なトラブルを発生させてしまったわしのバカバカ。来年はあかの他人 との相部屋は絶対やめよう。高くついても仕方あるまい。19:30 就寝。

2006/11/12 本番当日

04:00 起床、05:00 飯、05:40 宿発。街灯がなく真っ暗なので、ライトを持参 したい。06:00 名護市民会館着。ちとあわただしい。来年は朝飯を自前で用意 すべきか? だが温かいご飯も捨てがたい。微妙な時間設定で迷う。

荷物は預り所がある。便所は大便が混んでいる。2階が多少まし。小便は平気。 天気は快晴、風つよめ。半袖半パンだと少し涼しいが、雨じゃない限りこれで OK だろう。

06:30 頃から適当に並び始める。ヒルクライムのように我先に並ぶという感じ ではない。200km に出るような人は、面子の中での自分の適正位置をわきまえ ているということか。わしは若干弱気に 60〜80 番目の右端に並ぶ。30〜40 番目くらいでもよかったかも知れない。

国際のエロい人たちがスタートして自分の番をドキドキしながら待っていると、 アメリカ国旗なジャージの人たち 2 名があわててスタートしていった。きみ ら悠長に小便でもしてたのか? あぁもう無理だろ、3 分くらい経ってるよ。周 囲に笑いが広がり、場がちょっとなごむ。

06:50、レースが始まった! かわいはスタートした! クリートが一発ではまっ た! 会心の一撃! まじすげえ! 今日の俺はイケるかも! と、思ったのもつか のま、ちょ、ちょっと君たち何その速度? これからまだ 199km 走るんだよ? 2000m 以上登るんだよ? わかってんのかよコラ、オイ!

3 分くらいでちょっとペースが落ち着いたので、ようやく速度計を見た。 45km/h 出てるよ。さっきまではきっと 50km/h くらい出てたに違いない。 アホか。

さすが 200km、みんなまっすぐ走ってる。斜行バカとか急停止バカは皆無だ。 しかし速度が速度なのでそれなりに恐い。九州エ業大学 (仮名) と Vlaa眉毛ms (仮名) は走りが安定しているので、なるべく彼らの後ろにつく。ちょっと 挙動が怪しい奴が割り込んできたと思ったらすね毛はやした奴だった。こいつ はやべえ。すぐに距離をあける。今日の俺は冷静だ。

集団の端にいても、外から上がってくる列が発生してすぐに内側に入れられて しまう。列に便乗してしばらく上がっては内側へ入る、を繰り返す。風呂の湯 のような対流が発生しておる。てれびの中の人達がやってたのと同じだ。かっ こいい。

対流に流されつつ常時 50〜60 番に位置する。ここだと先頭がギリギリ見えか くれする。鬼コーチからは 30〜40 番に位置せよというアドバイスをもらって いたが、混んでいてこわいので無理しないことにする。この位置でもときどき ケツや肩がとなりと触れる。もっと後ろはどんな状況なんだろう。振り返る余 裕が無い。

本部をまわりきる前に Energy Bar を 1 本消費。ふつーに食える。特に波乱 無くまわりきって 58 号に出た。海岸線沿いで何人かが集団を抜けておしっこ タイム。わしもしたかったが、万一ここで集団からはぐれたら致命的なので我 慢。先頭の気まぐれなのか、時々わけわからんくらいペースが落ちる。25km/h とか。

トンネル 1 個目を抜けると少し緊張感が高まる。 Energy Bar 2 本目消費。 1.5 時間で 2 本食った。ちょっと早すぎか?

トンネル 2 個目を抜けるとオラオラ状態。なんかわしと同じジャージのひと が周囲にいっぱいいるので塊まる。これ、もしかして有名なチームのジャージ なのかもしれない。すごい効力だ。そのうえちょっと信じられないデザインセ ン、、、いや、遠くからでも良く目立つ素晴らしいジャージだ。

最初の関門、普久川ダムへの登りに入る。行く奴は瞬時に行く。今日のところ は行かせてやろう。ていうか追えるペースでは無いですすみません。自分のペー スで行くしかない。こういう緩めの高速な登りが一番つらい。多分5分くらい ついていければその先でペースが落ち着くのだろうが、超無理。こういうコー スの克服が来シーズンの課題だ。

横にわざとらしく大声で会話してる 2 人がいる。「みんな辛そうだねぇ」と か「タケヤさんが何ワットで何分続くのを見た、あの人はすげぇ」とか。そん な会話してる余裕があるならこんな位置で走っているはずはないので、あれは 周囲の動揺を誘う作戦なのか? 超ウザー。ああゆうことを知らず知らずのうち に自分がやってしまわないように気をつけよう。

自分のペースで登っていてもまだ同じジャージのひとが周囲にいっぱいいるの で大丈夫だろうという安心感はある。がしかし、よく観察すると、普段ならわ しが登りで先行しておいて、下りで追いつかれなくてはならないはずの人たち も一緒に登っている。ということは、この先の下りでおいていかれるのではな いか、という不安が生じる。

、、、という思慮があったのかどうかすでに記憶が定かではないが、登りが終 る前に彼らよりも若干先行した。予想どおり下りで抜かれて若干先行された。 しかしそこら辺に浮遊してる人を適当に使ってなんとか追いつけた。イエーイ! 一番ヤバそうなところは切りぬけた。多分この集団からチギれなければ完走確 定じゃね?

奥、辺戸岬は無難にグルペット (残念ながら既にそう呼ばざるを得ない位置に いた) のままこなし、海岸線に出る。平地だ。休憩エリアだ。先頭牽くのは前 方投影面積当りの質量が大きめな方々に任せ、わしやスットコに乗ったひとな ど (端的に表現すると、チビ) は適当に後ろについて走る。

、、、はずだった。が、徐々に体力が回復してくると、なんとなく先頭牽かな くてはいけないような気がしてきた。ていうか真剣に牽いてしまった。ていう か牽いていたらしい。どおいう思考でそおゆう行動に出たのか今となっては定 かでない。ていうか牽いてる瞬間にも定かではなかった。ていうか端的に言う と正直何も考えてなかった。すまん。こういう脳味噌真っ白状態を無くすのが 来シーズンのもうひとつの課題だ。

2回目の普久川ダムへの登りはすでに緊張感もなく、おちついて皆で淡々と登 る。1回目同様に、登りきる前に周りよりも少し先行しておかなければならな いはずだったが、逆にちょびっと遅れをとってしまった。あとで皆には「平地 で牽きすぎたせいだろ」と言われたが単に実力かも知れない。今となっては定 か(ry

そうはいってもまだすこしは脳味噌が働いている。ダムでボトル2本補給。こ のへんから固形物がきつくなってきたのでカーボショッツとアミノバイタルプ ロの水割りを吸引。カーボショッツはフラスコに入れかえておいて正解だった。 実業団のエロい人たちは袋から直接食うが、あれちょっと無理。そんな余裕な い。

脳味噌が働いたからといって脚が急に元気になるわけでもなく、遅れをとった ままダムを越えて右折、下りに入ってしまった! ガビーソ! ちょっとヤバいか も。

頑張って踏むが、ただでさえパワーが無いのに、集団で下ってる人たちに単独 で追いつけるはずもない。ゼッケンの色が違う人が目立ちはじめたが、まだま だこの辺で追いつくような人たちは終了ぎみのヘボまった人であり、あまり使 えない。細かい登りを利用して集団まであと 10m といったところまで追いつ くが、ちと長めのくだりに入って再び差をつけられてしまった。そっから先は どんどん差がひらいてあっという間に見えなくなった。さようならみんな、今 までありがとう、楽しかったけど、ここでお別れだね。ぼくはぼくの道をひと りで歩いてゆくよ。元気でね。

集団から切れた後は、もうあがいてもどうしようもないので、落ち着いて周囲 に浮遊している人たちと合流し、無理のないペースで完走を目指す。しかしな がら無理のないというのは比喩であり、事実とは若干かけ離れた表現であると 言えなくもないと言うことも可能と考えられないこともなきにしもあらずであ る。特に源河では相当無理した。

と、その時、最悪のタイミングでうら若き婦女子がカメラを構えているのに気 づく。なんだよチクショー。ていうかあそこは 3 段ていうより最後の登りの 前で 1 回下るんだね。今年で 5 回目なのに全然覚えてなかったよトホホ。源 河でボトル 1 本補給。3段目を登りきったところで、疲労のあまりちょっと泣 きそうになった。

周囲とペースを合わせてそれなりにくだると、最後の関門でおっちゃんが赤旗 を振っているのが見えた。ギョッとしたが、彼は右手に白旗、左手に赤旗を握 り、両方を振っている。どうやら足切りの赤旗では無いらしい。コースを間違 えないように指示を出してんのか? よくわからんけど、止められなかったので そのまま通過する。えーと、これはつまり、完走と考えるかたちでよろしかっ たのか? はっきりしないので、どこで感動の涙を流せばよいのか分からなかっ たよチクショー。

その後は 80km や 130km の元気な人々の列車に乗せてもらって適当に帰還。 なんか結構先頭牽かされた気もするが 35km/h くらいしか出ない。が、もう完 走は保証されたので無事帰還さえ出来ればどうでもいいや。残り 2〜3km で真 面目にスプリントしたい人たちの牽制が始まる。毎年のことだ。200km の数名 はやる気レスで集団後方に下がる。「お疲れさま」と声をかけあってゴール。

なんかはっきりしないが多分完走だ! sudo コーチ超ありがとう。

ゴール後は感動や達成感よりも、「何だこのめちゃくちゃな競技は! 考えた奴 はアフォかっ! 来年は真ん中より上位でゴールするぞチクショー」という気持 ちで満たされた俺様であった。

閉会式と触れ合いパーティ (≒ 豚の丸焼 + オリオンビール) をパスしてさっ さと那覇へ。つき合って一緒に那覇まで戻って頂いた皆様ありがとうございま す。那覇までの車のなかでの補給は、那覇での晩飯を考慮し、ジャンボフラン クフルトと野菜ソーススパゲッティとチートス 1 袋とコーク 500ml だけに抑 える。俺様も大人になったものだ。あ、あとポテトチップも少しだけもらった。

那覇のアグー豚焼き肉屋で半年ぶりの飲み。皆が壊れてゆくさまを冷静に観察 する。九州自慢と湘南自慢の激しい対決を横目に肉とか肉とか脂身とか脂身と かを食う。

最終便のひこおきに搭乗。往路に続き、復路もしっぱつが 1 時間遅れた。

2006/11/13 本番翌日

羽田からの終電を余裕で逃した。深夜のタクシーは超速かったが、それでも家 に着いたのは 01:20 だった。そのうえ 1.4 万円とられた。行きはもともとの スケジュールがギリギリだったので仕方ないが、帰りの仕打ちはひでえと思っ た。今思い返せば 1 本前の便に乗せろとか、タクシー代払えとか、強めにお 願いすべきだった。が、実際には疲労と酔いで脳味噌が働かなかった。

レース直後に水と糖とアミノバイタルプロいっといたので極端な疲労は無かっ た。ていうか昼からずっと太平洋の上を飛んでいたのでよくわからん。熟睡は 出来なかったが、jet lag はあまり残らなかった。

反省点と今後の展望



肉桂
おれんち