ツールドおきなわ 2007

自分のちょっと前で何が起きていたのかを推測することは、特に今回極めて重 要であるっ! ちゅーわけで昨年 にひき続き、実際に起きたできごとおよび起きていたと推測されるできご とを、時間軸に沿って記述してミマス (土星の衛星と間違えやすいので注意)。 わしのちょっと後ろのひとは参考にするがよいっ!

忙しいかたは結果 だけご覧頂ければ充分です。忙しくないかたも以下の文章はお読みになら ない方向で前向きに御検討頂けるとまことに有り難く思われる次第です。

出発前日まで

体調には特に問題ないそうですよ。 マシントラブルなどが無ければ完走は大丈夫で、 駄目だったらそろそろ自転車やめるしおどきかもしれないそうです。 できれば50位以内をめ ざすらしいです。

2007/11/09 出発日

05:15   起床
05:30   軽く朝食
05:40   自宅発
06:10   赤羽駅発
        京浜東北線
07:30   羽田空港着
08:30   空港で 2 度目の朝食 (中国粥定食)
11:30   空港で軽く昼食 (ヘボめのカレーライス)
12:10   羽田空港発
        ANA
14:55   那覇空港着
15:30頃 那覇空港発
        モノレール
16:00頃 県庁前駅着
        オーガストイン久茂地チェックイン
19:00頃 沖縄料理屋で夕食
23:00頃 就寝

電車はこれより遅いとラッシュに巻き込まれる。ラッシュ後だと人身事故とか が発生した場合に若干危険。来年も同じ時間の飛行機に乗るなら自宅を 05:30 には出ること。空港に着いてすぐに古シ工氏 (仮名、以降「furue」と略記) と合流。

朝食を空港 3F の中華料理屋で食った。薬品がいろいろ入っている料理ばかり で胃腸と舌と繊細なハートが萎えた。来年も空港で食うなら 4F の自然食の店 を使うこと。せっかく去年こっちの店がまともであるということを確認したの に、わしは何をやっておるのか。

お菓子に詳しい白戸太郎 (仮名、以降「北」と略記) が、本人は JAL 搭乗予 定なのにわざわざ第 2 ターミナルへお見送りにやってきた。ありがとうござ いますていうかまた明日。10:40 までには残り 5 名とも余裕をもって合流、 航空券配布。幹事として最大の責務終了。

ホテルはここ 3 年利用しているオーガストイン久茂地で問題なし。ツイン 6500 円/人、駅から 5 分、禁煙部屋あり、自転車室内持込可。シングルはち と高い (9000円)。

晩飯前に国際通りを散策。なにこの観光旅行。サーターアンダーギーは予定通 り 4 個に抑えた。

晩飯は、おしゃれと言えば俺ですが食い物の好き嫌いはとっても多いですが半 熟卵は駄目だけどよく火を通せば食えますが何か氏 (仮名) がどっかから見つ けてきた情報を頼りに沖縄料理屋へ。量は適切だったが、ちと旨すぎたうえに 楽しみ過ぎた。酒すこし飲みすぎ。寝る前のクリームパンは食うべきではなかっ た。来年はもうちょっとヘボい店で必要な栄養だけ摂取して 22:00 には寝る べし。楽しみはレース終了後まで温存しておくこと。

2007/11/10 本番前日

06:40   起床
07:05   ホテルで朝食
08:00頃 スネ毛処理
09:00頃 那覇発
        自動車 (レンタカー)
11:00頃 名護着
12:00頃 宮里そばで昼食 (ソーキそば、カレーライス、各 1 人前)
13:00   受付
14:00   40分ほど軽めに試走
16:00   リゾネックス名護チェックイン
18:00   ホテルで夕食
21:20頃 就寝

那覇から名護は昨年同様に専属ドライバの苦目氏 (仮名、以降「伯」と略記) にお世話になった。ありがたいことです。

昼飯のカレーは、、、まあこれくらいは来年も食ってもよいだろう。わりとお 薦め。小麦粉たっぷりで大変不味い。

受付を 2 名ぶん済ませた。うら若き(ry の代理で女子 50km の受付を済ませ ようとしたら係員にものすごく不審な目で見つめられた。わしが出走するんじゃ ねぇよ、決まってるだろ、このウケツケものがっ!

試走、つーかちょっと身体をほぐすために走った。時間、強度ともに、まぁこ んなもんだろう。帰り道で迷う予定だったが、今年はナビ (伯、furue) がつ いていたので迷わなかった。材質もアーキテクチャもトランジスタ数もわしの 脳味噌とほぼ同じはずなのに、なぜ彼らの脳は一度通っただけのルートをそん なに正確に覚えられるのだろうか。人体の不思議。

夕食は若干食いすぎたような気がしなくもない。このホテルの晩飯はそれなり に不味いうえにバイキング形式で必要な物だけを選べるので前日の食事には適 切。当然ながら酒は飲まなかった。来年は金曜も飲むのやめよう。寝る前の餡 パンは食うべきではなかった。

2007/11/11 本番当日

04:15 起床
05:05 ホテルで朝食
06:10 ホテル発
06:30 名護市民会館着
07:00 スタート
スタート前

昨年の失敗をふまえライトを持参。それは良かったが、ちと出発が遅すぎた。 位置取り失敗。250 番手くらい。06:00 には着いておきたい。05:00 朝食だと あわただしいので、来年は自前で朝食を用意して 04:30 頃には食べ終わろう。

レース (最初の平坦部 70km)

かなり後ろからのスタートなので、号砲のあとしばらく間をおいて、ぼちぼち とスタート。後ろは速度変化が大きくてちと走りにくいので少しずつ順位をあ げる。おおむね 100 番手ちょい前くらいをキープ。今になって考えると、も うちょい前にいるべきであった。この辺りに緊張感の欠如がみられる。

落車は時々起きるが、大規模なのは無い。昨年のすね毛野郎に再会した。恐い ので避けて前に出たが、いつのまにかまた近くに来ていた。二人は黒い糸で結 ばれているのか。

逃げが発生しているらしい。オートバイが逃げまでの時間差を知らせにくる。 テレビの中のひとみたいで格好良いが、逃げなんて超どうでもいいす。

海岸沿いでペースが落ちる。小便タイムかと思ったが、結局登りに入るまでの 1 時間近くペースはあがらなかった。そうと分かっていればわしも小便してお きたかったんだが。すげえ前を走っていればそういう情報も口コミで伝わって くるのか? そうなのか? 最初の 1 時間の平均速度は 39km/h、まあ少し遅め だけどこんなもんか。そっから登りに入るまでの 55 分の平均は 32km/h。サ イクリングサイクリングヤッホーヤッホー、、、ペース遅くても関門の脚切り 時刻は変わらないんだよ頼みますよ勘弁してくださいよ > 先頭付近のエロ いひとたち

登りに近づいても昨年ほど激しいペースアップはなく、惰性で登りへ突入。こ れは位置取りが後ろだったせいなのか? 前は激しいことになってたのか? そう なのか?

レース (普久川ダムへの 1 回目の登りから 2 回目の登り始め)

登りに入ったら昨年同様にめちゃくちゃなペースアップ。集団これすなわち即 座崩壊我撃沈。進歩ねぇなぁと思いつつ自分のペースで登っていると、北 (仮名) が光の速さでブチ抜いていった。が、あれはタレるから気にしないで よい。登り終える頃には弊社顧客や伯 (仮名) 等の見慣れた人々が周辺にかた まっていた。これが今年の最終列車だろうか。やや安心。

(しばしば登りで置いていかれることのある一人の)ヒルクライマーの俺様は、 登りきる時には微妙に最終列車 (仮) から先行した。にもかかわらず、北 (仮 名) がいない。下っている最中に弊社顧客や伯 (仮名) に抜かれる。

下りの途中で伯 (仮名) 他の集団に合流。かなり安心。白い歯と笑顔が(ry な テラ速ス (仮名) 他数名の見慣れた面子もいる。去年の流れからいって、これ で完走は堅いだろう。海岸線で去年のような無茶をしなければ 50 〜 60 位く らいは狙えるかも。--- そのときの彼は安心のあまり忘れていた。集団の中に 弊社顧客や北 (仮名) の姿が見えないことを。

集団は下りながらさらに人数を増やして 30 人くらい (だと思う) となった。 このまま辺戸岬をまわって海岸線の平地まで出れば人数に任せた超特急で超おっ けーのはず、、、だった。

が、何だかおかしい。ちょっとした登りで集団のペースがものすごく落ちる。 わしが先行しても誰もついて来ない。--- 最終列車だと思った列車は、じつは 車庫へと向かう回送車だった。しかし、彼はそのことに気づくまでに多くの時 間を失いすぎていた。いまから最終列車 (本物) に単独で追い付くことは絶対 不可能だ。

しばらくすると危機察知能力に超長けた伯 (仮名) が協力してくれるようになっ た。それでも他はついてこない。仕方がないので後ろを切ることにした。この 先の平地のことを考えると危険だが、このまま何もせずに車庫入りするよりは、 2 人でやれるだけやって散るべきだろう。

と、脳内では華々しく散るつもりだったが、大した距離を走らないうちに集団 に吸収された。わしら 2 人だけだと、こんな集団よりも遅いのか。ウゴウゴ 君ももうがっくし。

海岸線に出ると声のでかい見知らぬにいちゃんが仕切り始め、ようやく 5 人 程度での先頭交替が始まった。が、いまさら遅いっちゅーねん。しかも伯 (仮 名) がペースを上げたら全員切れた (含むわしおよび声のでかいにいちゃん)。 恥ずかしながらちょっとペース落としてもらって、わしだけ追い付いた。ほど なく 2 回目の登りにさしかかった。

でさぁ、あそこの登り口って左折するじゃん (突然タメぐち浜っこ風)。だか らコーナーで左手で手信号出しながら曲がろうとしたんだよ。そうしたらさ、 何でか知らんけどスピード落とし忘れてて、ヤベェと思ったときにはかわしき れない位置にガードレールの野郎がつっこんできたんだよ。危ねえだろ馬鹿野 郎このスットコドッコイ。下手にハンドル切ったらすっ転ぶと思って、直進し ながら全力でブレーキかけたら軽くぶつかる程度で大事にいたらずに済んだ。 そんなとっさの判断ができるくせに、なぜふつーに曲がれない? わし大丈夫か?

激突 (スピルバーグと間違いやすいので注意) で 30 秒か 1 分くらいを失っ た。あーみんないっちゃったよ。幸い登りなので集団から切れてもどーとゆー ことはないのが救いか。仕方がないので自分のペースで登り続けた (こればっ か) ら、どうやらもとの集団の半分よりは前に追い付けたぽい。

レース (普久川ダムへの 2 回目の登り以降)

いわゆるひとつの脚が終了した。20 km TT で 37km/h しか出せない人間が 70km 走って 1 時間坂登ったあとに 40 km/h を優に超える速度で牽いて、さ らに 20 分坂登ったら、そりゃそーなるわな。こりゃ駄目だろと思いつつ、前 から降ってくる 130km の人たちを利用しつつ、何だこいつら使えねぇなとお もいつつ、そろそろ下りだよなと思ったら、「高江関門」の幕がみえた。労働 者諸君を率いて革命を起こす時に用いるのとそっくりな旗を振っているおっさ んがいた。まるでここから先には行くなと言っているようだった。おおかわい よ、あしきりにあうとはなにごとだ。駄目人間のすくつ (なぜか (ry) と化し た高江関門には、良く目立つということ以外に褒める箇所の無い見慣れた意匠 のジャージを着用したひとがたくさん集合した。

おきなわ参戦 6 回目にして初めてバスに乗った。高里予 (仮名。バツイチじゃ ないほう。弊社トップページへの写真提 供ありがとうございます) の気持ちが少し分かった。源河の登りにさしかかる と、応援部隊が待機していやがられた。もう関門閉鎖されてるんだからさっさ と帰れば良いのに。しかもうら若き (ry のうち 1 名が、こっちに向かってお もいっきり指をおさしになりやがられた。バスの中で笑われた。笑うなよ、お 前達だって駄目人間のくせに (字余り)。なんだバカヤロー (わしは断然志村派)。

名護市民会館 → 高江関門
dist 149km, duration 4h34m, AP 178W, NP 211W, TSS 438, 32.5km/h
最高速度 74.5km/h はちょっとだけすげぇ
閉会式

2004 年まではオリオンビールと泡盛飲み放題だった。2005 年、オリオンのに せビールが登場。2006 年は閉会式を待たずに那覇へ戻ったので不明。そして 今年はついにオリオンビール消滅。すべてにせビールに取って代わられた。オ リオンビール工場のお膝元でパチもんかよ。そのうえ一人一度に一缶、蓋を開 けて手渡しされるようになったらしい (furue 情報)。しょーもない者どもが 夜の宴会代をちょびっと節約するために会場から大量に持ち出すという愚行を くり返したせいなのだろうが、世知辛い世の中になったものだ。ルーガちゃん ももうがっくし。豚の丸焼き登場を待たずに退散。

夜の宴

夜の宴会部長犬田氏 (仮名) によって風流な店の風流なコース料理が予約済み であった。でかした。完走した 5 名 (うち 1 名は、あんたはすげぇ速いで賞 みたいな賞まで獲得しやがりましたおめでとうございます) を 祝い、駄目人間をなぐさめるための宴がとりおこなわれた。さほど 面白くもないちょっとした話題をネタに、皆がまるでわたしの肉桂でも読んだ かのごとき勢いで狂ったように笑っている様子が大変愉快であった。解放感の なせる技である。

料理は旨かったが、予定よりも走行距離が 50km 少ないせいだろう、例年ほど の食欲がわかずに 2 人前くらいで腹いっぱいになってしまったのが残念だ。 ホテルに戻ったらまだ晩飯食える時間だったので、泡盛飲んで肴とデザートを 食って、コーヒー飲んで食欲にとどめをさした。

2007/11/12 本番翌日

午前中  美ら海水族館
13:00頃 那覇空港チェックイン
16:45   那覇空港発
        ANA
19:15   羽田空港着
        京浜東北線
21:00   赤羽駅着

かの有名な美ら海水族館とゆーところを 6 年目にしてようやく訪れた。 すげぇでけぇのがいた。1 回は行っておいても良いかもしらぬぞんぜぬ。

飛行機は早めに自転車を預けて正解。直前はすげえ混む。空港の A & W で combo を頼んだらルートビアを紙コップにいれて出された。しかも氷で薄 まってた。2 度と来ねぇよウワーン。

羽田で荷物を待っている間に、シルバーヘヤーのナイスミドルガイ (仮名。和 訳するとシラガの中年オヤジなので和訳しないように) から貴重な情報を得た。 前のほうは前のほうで、大変な苦労と汗と涙のドラマが展開のエキスパンジョ ンだったらしい。実力があるからといって決してやすやすと完走したわけでは 無いということが分かって少し望みが出てきた。つーか裏を返せば、ちょっと した判断ミスで 10 分くらいはすぐに遅れてしまうとゆーことだ。

そういやあの人はどうだったのかな、という観点から改めて結果 をみると、弊社顧客はすげえ順位で完走している。なんだよ 1 回目の普久川 ダムまで一緒だったのに。1ヶ月前の群馬で集団ゴールできなかった残念なひ とびとのうち一名もすげえ順位で完走している。身体能力的にはわしはここら へんの人々と大差は無いはずなので、つまりは登りを先頭付近で入り、常に神 経をとがらせて展開を読み、ここぞという時にはもがいて速い集団に乗り、し かし脚は使いきらず、集団に乗れたらあとは自分の力を徹底的に温存する必要 があるとゆーことらしい。

荷物やおみやげは宅配便で送ると楽。送料 1000 円ちょい。平日この時間の京 浜東北線は多少混むものの、自転車持ってても何とかなる程度。

反省点と今後の展望



肉桂
おれんち